修練のときの心得ですが…

 まず、捨てて和するという至高の境位をめざすことが目標と言えます。
 捨てて和するとは、自分に厳しく、相手をリスペクトする。なぜか? 人間 は一人では何もできない。拳法も然り。相手があって始めて修行となる。乱取りでは相手と対立しながら打って打たれ、そのなかで技術と精神が磨かれていく。 だから相手には感謝しなければならない。正しい心はこの感謝の念から始まるものです。
 そして、和するを求めるには自我を忘失することであり、その自我の最もたるものが打ちたい、勝ちたいという欲心であるからそれを捨て去ることも重要です。
 自我を忘れるには、自分のことはさておいて相手のことだけを考えてみたらどうか? 相手と和するはすてた者同士の同化であり、一体になることだ。
 攻撃間合いに入るときは、とまどったり、おずおずしてはいけない。迷うくらいならひと思いに打って出るほうがいい。攻撃機会と察したら一切を考えずに相手にとけこんでいく意識で打つ。相手と和するとは糸口は自我を忘失し捨てることと言えるのではないか?
 それと、相手を攻撃するにはまず構えがなければならない。構えで重要なのは、自然体でゼロの状態になることです。
 ゼロの状態でなければ100の力は出ないものです。ゼロの構えとは柔らかく拳を握りスッと自然体に立つ。それがすなわちゼロの姿と言えます。
 ゼロの自然体の構えから弾発力きかして迅速かつスムーズに攻撃するのが理想ではないでしょうか。
 最後に、捨てて和するとゆうことを追求する前に、道場に入るときは先生より一足早く入場して、稽古が終わって退場するときは先生方が退出してから退場する心がけが重要ではないか? 修練のときにはいつもこのように行動するようにしています。
 道場で修練することで忘れていけないのは、やはり感謝の心と思うボクでした。

 この文章は「一川格治先生」の金言集を参考に書きました。

    T.N